人数が多い時代と少ない時代 〜スタイルの行方〜
人口の厚みは、社会の空気や文化のあり方を大きく変えてきた。
同じ世代の人数が多い時代には、「差別化」こそが生き方の軸になる。周囲と同じでは埋もれてしまうからだ。だからこそ、ファッションやライフスタイルにおいて「自分らしさ」を打ち出す工夫が自然と求められた。
その結果、生き方のバリエーションは一気に広がった。製品や商品のラインナップは単に増えるだけでなく、カスタムパーツやオプション、限定モデルといった「差をつける要素」が市場に溢れていく。洋服や髪型はもちろん、車やアクセサリーまでもが、単なる道具ではなく「自己表現の武器」となったのだ。
そこには純粋に美を追求するスタイルもあれば、「強そうに見える」「裕福に見える」「モテたい」といった欲望を映すスタイルもあった。中には独自性の追求が行き過ぎ、誰も理解できないほど独創的なファッションに突き進む人もいた。それすらも「人口の厚み」が生んだ現象だったといえる。
車や洋服、アクセサリーといった手の届きやすい領域で多様なスタイルが乱立した一方、家や家具といった高額な分野は自由度が限られていた。だからこそ若者のエネルギーは「手に入れられる範囲」に集中し、文化を豊かに彩っていったのである。
1970年代からの人口動態とトレンド
1970年代、日本は高度経済成長を経て、団塊の世代が青春を迎える。分厚い人口層が一斉に消費市場へ流れ込み、カジュアルファッション、フォークソング、学生運動の余熱など、「集団的な熱量」が若者文化を形づくった。
1980年代はバブル期。団塊世代は働き盛りとなり、団塊ジュニアが控えていた。ファッションはブランド志向へ傾き、車・時計・ディスコ文化など「高級」「派手」なスタイルが全盛となる。人数が多いがゆえに競争が激しく、目立つための過剰な装飾が肯定された。
1990年代、バブル崩壊後も団塊ジュニア世代が社会に出て市場を支え、「多様化」がキーワードとなった。渋谷系、裏原宿系、ギャル、ヴィジュアル系…。無数のスタイルが同時多発的に誕生し、90年代カルチャーの豊かさを生んだのは、まさに人口の分厚さだった。
2000年代に入ると少子化が顕著になり、若者人口は急減。スマートフォンとSNSが普及し、「同世代の熱量」よりも「オンラインのつながり」が自己表現の舞台となる。一つのトレンドが国民的に盛り上がることは減り、小さなコミュニティごとに細分化されていった。
そして現在、若年層はかつてないほど薄い人口構造に置かれている。90年代のようなサブカル爆発は起こりにくく、メーカーは縮小市場に直面し、海外展開を迫られているのが現実だ。
これからの時代に残るもの
振り返れば、価格が高くても長く支持されてきたのは「本質的によくできたもの」に限られている。逆に、時代の熱気に乗って消費された「派手なスタイル」は、一巡すれば忘れ去られた。
人数が多い時代が生んだ雑多な多様性は確かに魅力的だった。しかし、これからの人数が少ない時代に求められるのは、一瞬の見栄えではなく「持続する価値」だ。スタイルは削ぎ落とされ、純化されていく。
では、その未来に私たちはどんな「価値の核」を見出すのだろうか。
それこそが、これからの文化を左右する問いになる。