幸せって、何だろうか?
行き過ぎた信用社会の果てに見えてきた「人間の原点」
経済が成長し、法律が整い、あらゆる分野で「規約」と「ルール」が増えた。資格、ライセンス、保証、認定…..。社会は“信用”を基盤に、秩序と安全を築いてきた。けれど、整いすぎた世界の中で、私たちはふと立ち止まり、問い直している。「幸せって、何だろうか?」と。
■ 秩序の裏で広がる「無秩序」と「諦め」
日本では、ある程度の物なら誰でも手に入る。それでも、人々の表情は晴れない。整った社会の裏で、心の中に“無秩序”や“カオス”を求める感情が膨らんでいる。そして今、より深刻なのは“静かな諦め”だ。出自、家柄、学歴、職歴、見た目…..。「信用」という名のもとに、人間がスペックで測られる時代になった。その結果、上昇を目指せる者と、最初から降参してしまう者の間に、もはや“二極化”という言葉では収まらない断層が生まれている。希望を見いだせない人々は、意欲を失い、生活だけでなく、感情までもが貧しくなっていく。
それは怠惰ではない。
行き過ぎた信用社会が生み出した副作用だ。
比較と格付けの中で、“人間らしい余白”が削ぎ落とされている。
■ 欲が導いた進化、そして価値観の退化
人間は欲で動く生き物だ。
便利さ、効率、正確さ…..。それらは文明を進化させてきたが、同時に「人間の自由」を縛る鎖にもなっている。SNSでは「他者の承認」を追い、仕事では「肩書」や「学歴」で信頼を競い、生活では「見た目」や「ブランド」で印象を補う。そのどれもが“信用を得るための努力”だが、その陰で、努力のルールから外れた人々が置き去りになっている。格差ではなく、「心の貧困」が拡大しているのだ。豊かさの中に潜む「静かな貧しさ」。
それが今の日本のリアルだ。
■ 信用の象徴が崩れていく
リーマンショック後、先進国は景気維持のためにお金をばら撒いた。結果、政府の債務は膨張し、貨幣の希少価値は低下した。“信用の象徴”だったはずの貨幣が、いまや“信じられないもの”へと変わりつつある。資源は減り、物価は上昇し、社会のライフラインがゆっくりと軋んでいる。貨幣が信用を失えば、人は何を拠り所にすべきなのか。この問いが、次の時代の核心になるだろう。
■ 「知っているから動ける」人間へ
これからの時代、求められるのは「知らないからできない」でも「知っているからできる」でもない。「知っているからこそ、動ける」人間だ。
知識を壁にせず、行動の燃料に変えられる人。社会の変化を俯瞰しながらも、現場で手を動かせる人。そんな存在が、これからの時代を生き抜く鍵になる。
■ 成長と信用の時代の終幕
第二次世界大戦の敗戦から80年。日本は「成長」と「信用」を柱に、豊かさを築いてきた。だが、その時代は静かに幕を閉じようとしている。これからは、資格でも、地位でも、マニュアルでもなく、“どう生きるか”そのものが信用になる時代が始まる。
幸い、私はお金の多寡よりも、新しい挑戦を恐れない仲間たちに恵まれている。この不確かな時代の中でこそ、そこにこそ本当の「豊かさ」があると感じている。
信用の時代が終わるとき、「心の時代」が始まる。
私たちは、安心を求めすぎるあまり、人間の“あいまいさ”や“不確かさ”を排除してきた。だが本当の幸福は、そのあいまいさの中にこそ息づいている。信用が制度で保証される社会から、心が信頼を紡ぐ社会へ。そこに、次の時代の希望がある。
現代日本の「秩序と信用」は、同時に“心のひずみ”を生み出している。人間はもはや、信用のために生きるのではなく、信じられる生き方を選ぶべきときに来ている。