Kyoto 2024 ~ A Day In The Life Of Kyoto – 京都 鹿苑寺 金閣寺 Part.2
世界遺産(世界文化遺産) 鹿苑寺(金閣寺)
鹿苑の名は、お釈迦さまが初めて説法されたところの地名鹿野苑に因んだ開基(創設者)足利義満の法号鹿苑院殿によるものです
臨済宗相国寺派
「聖観世音菩薩坐像(しょうかんぜおんぼさつざぞう)」は、鹿苑寺(金閣寺)の御本尊として祀られており、「方丈の床」より一段高くなっている「須弥段(しゅみだん)」に安置されています
「聖観世音菩薩坐像」の脇には「梵天(ぼんてん)」と「帝尺天(たいしゃくてん)」が脇待として安置されており、これらの2仏を従えています
聖観音は1面2臂の観音のこと
十一面観音といった変化観音の基本形とも言える形式です
1397年(応永4)足利義満が建立
1階の寝殿造は、あえて金箔を貼らず簡素な造りにし、2・3階に金箔を貼って豪華 なものとしたのは、貴族に対する武家の優越を表すものと言われています
また、3階の禅宗様は、義満が出家して悟りを開いたことを表し、一番上に取り付けられた黄金の鳳凰は、天皇をも凌ぐ究極の権力を有する存在を示すものと言われています
金閣寺の歴史と成り立ち
「金閣寺」の歴史を遡ると、元々は「西園寺」という貴族が邸宅として所有していた
鎌倉時代から室町時代にかけて貴族の権力が弱くなり、それに伴い西園寺も土地を手放すことになった
室町時代である1397年に、足利義満が西園寺の邸宅を別荘として立て直した建物が、後の「金閣寺」となる
お寺となったのは足利義満の死後
足利義満の遺言により、禅寺となった
「金閣寺」が建立された室町時代に栄えた「北山文化」は、貴族と武士・禅の文化が融合した文化だが、その中でも貴族文化の影響が特に強い
「北山文化」の特徴は、「金閣」に強く現れている
「金閣」と「金閣」を中心にした庭園は極楽浄土を表現したと言われており、この世の光景とは思えないほど美しい
「金閣寺」はこれまでに何度か壊滅的被害を受けている
1467年に「応仁の乱」が勃発し「金閣寺」の大半が焼失
しかし「舎利殿」を含む、いくつかの建物は被害を免れた
1950年には「金閣寺」の見習い僧によって放火された「金閣」は完全に焼失し、その輝きは消えてしまった
しかし、詳細に残されていた図面を元に大修理が行われ、1955年に再建されている
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された
鹿苑寺(金閣寺)の庭園には大小の中島を浮かべる鏡湖池があり、島々は見る位置により様々に変化する景を創出している
鏡湖池の北側に舎利殿(金閣)があり、参道を進むと、龍門滝、夕佳亭等を見ることができる
アニメ「一休さん」の作中にも「金閣寺」と、「金閣寺」を建立した室町幕府3代将軍・足利義満(あしかが よしみつ)が登場している
金閣寺 | 臨済宗相国寺派
鹿苑寺
足利義満