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Chopardの歴史
1860年にルイ・ユリス・ショパールがスイスのソンヴィリエに時計工房が始まりで、1937年に活動拠点をジュネーブに移し、高級時計の製造を始めます。高精度な時計で名声を築きましたが、1963年にドイツのカール・ショイフレが経営を引き継ぎ、時計技術と宝飾技術が融合され、世界的なラグジュアリーブランドへ発展しました。1974年にジュネーブ郊外に製造工場を移し、レディース腕時計などの新たな時計の開発を開始することとなりました。 現在は高級時計の他にもジュエリー販売もおこなっており、世界各国で100店舗以上のブティックを展開しています。ショパールの代表作ともいえるのが1976年に誕生したハッピーダイヤモンドです。レディース腕時計として高い人気を誇っており、ハッピーダイヤモンドラインのジュエリーも人気があります。上質なダイヤモンドやゴールド素材を使ったジュエリーのような腕時計は、ショパールならではのものです。その洗練されたデザインは、女性であれば足をとめて見入ってしまうでしょう。技術力の高さによって生み出される美しさは、ショパールの大きな魅力です。また、カンヌ国際映画祭のパルム・ドール・トロフィーのデザインで有名で、現在は自社製ムーブメント開発も行うマニュファクチュールとしても知られています。
母のハッピーダイヤモンドと、時代を越えるメンテナンスの記憶
先日、母が長年愛用しているショパールの「ハッピーダイヤモンド」を、久しぶりにメンテナンスへ出した。確か購入は1980年代。当時としては先進的とも言える、中央の小さな円柱に電池を収めるクォーツ式で、ケース内部には“クルクル回るダイヤモンド”がサンドイッチ構造のガラスに守られている、あの象徴的なモデルだ。
この構造が実に厄介で、裏蓋を外す工具ひとつ誤れば、ダイヤモンドを挟み込むガラスを割りかねない。パッキンを含め、専用部品と知識が不可欠なため、当時から基本的にはショパールへの正規依頼が前提だった。
90年代、最初の電池交換の記憶
初めて電池交換を依頼したのは1990年代。今のようにパソコンもスマートフォンもない時代で、情報源は雑誌かタウンページ。学生だった私は、確か京橋だったと思うが、ショパールの代理店が入る雑居ビルの修理受付を探し当て、そこへ時計を預けた。
結果は、電池の液漏れか何かのトラブルが見つかり、修理代は8万円台。数か月後にようやく受け取った。その一連の体験が、私にとって「舶来時計のメンテナンス」というものと初めて向き合った出来事だった。
2000年以前の“舶来物”というハードル
今でこそ日本法人が設立され、ブティックも展開されているが、2000年以前の舶来時計は事情がまったく違った。老舗時計店が日本代理店を兼ねている程度で、為替レートを考えれば修理費用は今以上に高額。対応できる場所も東京・大阪・名古屋といった大都市に限られ、地方在住者にとっては「使い続ける」こと自体が一苦労だった。
そんな背景もあり、我が家ではおおよそ6年おきに、私が母に代わって電池交換の手配をしてきた。2006年12月にショパールジャパン株式会社が設立されて以降、その手間が格段に軽減されたのは言うまでもない。
リセールでは測れない価値
私は男性ということもあり、世界的にリセール市場が確立している、いわゆる“ポピュラーなブランド”を中心にコレクションしてきた。ショパールやヴァン クリーフ&アーペルは素晴らしいと思いつつも、リセール価格が安定しにくい分、どこか「完全に自己満足の世界」という感覚で捉えていた。
しかし、A.ランゲ&ゾーネを購入した時に腑に落ちた。「好きだから仕方ない」。それでいいのだと。そう考えた瞬間、母がこのハッピーダイヤモンドを何十年も使い続けてきた意味が、ようやく理解できた気がした。
銀座本店で知った“レア”という評価
今回、ショパールジャパンが展開する銀座本店へメンテナンスを依頼しに行った際、若い店員から意外な言葉をかけられた。
「ハッピーダイヤモンドのハート型は、今では珍しくてレアなんですよ」
現行モデルはケースサイズが大きくなり、素材もホワイトゴールドではなくなっているものがあるなど、リリース時期によって仕様が異なるという。内部で回るダイヤモンド単体にも価値があることなど、初めて知る話も多かった。
また、私とハッピーダイヤモンドというモデルが誕生した時期がほぼ同じという縁(笑)
リューズが“ない”という美学
そして、この時計の最大のユニークポイント。実はリューズがない。
ではどうやって時刻を合わせるのか。
答えは、裏蓋に設けられた小さなボタン。それを押して時刻調整を行うという、今ではほとんど見かけない機構を備えている。合理性よりも美しさと遊び心を優先した、まさにショパールらしい発想だ。
母のハッピーダイヤモンドは、単なる時計ではない。時代ごとの流通事情、メンテナンスの苦労、そして「好きだから使い続ける」という価値観そのものを内包した、小さな文化遺産のような存在なのだと思う。




