日本漢字能力検定へ 2026 ~ 懐かしのJUN本社があったエリアへ
ファッション企業の皮を被ったカルチャー装置 ― JUNという特異点
1987年に竣工したジュンの本社屋は、2015年頃に解体され、現在その場所には超高層ビルが建っている。東京では珍しくない風景だが、この建物の消失は単なるオフィスの更新以上の意味を持っていたように思う。80〜90年代の都市文化を体感していた人間にとって、あそこは「会社」ではなく、ひとつの文化装置だったからだ。ちなみに90年代にこのオフィスへ私自身面接に伺ったことがある。
同社といえば、初期の東京における安藤忠雄建築と切り離せない。安藤氏が関西から東京へと活動の軸足を移し、都市型商業建築を本格展開していく過程で、JUN系列のプロジェクトは重要な実験場だった。コンクリート打放しの空間にファッションが入り、そこに若者が集まり、音楽が鳴る。いまでは当たり前になった「ブランド建築」や「空間ブランディング」の萌芽が、当時すでに実装されていた。
興味深いのは、JUNが単なるアパレル企業としてではなく、メディアの側からもカルチャーに介入していた点だ。同社は深夜帯の洋楽番組のスポンサーとして、当時の日本ではまだアクセスしにくかった海外の音楽文化を可視化していた。
代表的なのが
- ミッドナイト・スペシャル
- ソウル・トレイン
といった番組群である。
80年代の日本において、ブラックミュージックやUSポップカルチャーを体系的に視聴できる導線は限られていた。そこにアパレル企業がスポンサーとして入り、音楽とファッションの回路を接続していた事実は、いま振り返るとかなり先鋭的だ。
後に、レコード文化の現場でもJUNの動きは象徴的だった。輸入盤文化の中心だったWAVEからバイヤーを引き抜き、bonjour recordsを立ち上げた流れは、当時としては衝撃的だった記憶がある。
セレクトショップ、レコード、カフェ、ファッション。それらを一体化させたライフスタイル型店舗は、いまでは珍しくないが、90年代初頭の東京ではかなり早い実装だった。後の代官山的な文脈や、ブランドによる文化編集型小売の原型が、あのあたりで形になっていったと言っていい。
さらに見逃せないのが、海外ブランドの導入装置としての役割だ。フランスのA.P.C.が日本市場で広く浸透していく過程でも、JUNの影響は大きかった。過度なロゴや装飾を排したミニマルな衣服、デニムを軸にした日常着の再定義。90年代の日本の都市感覚にとって、その翻訳は決して自動的なものではなかった。JUNは単に商品を輸入するのではなく、「着方」や「空気」まで含めて提示していた。
こうして振り返ると、JUNはアパレル企業というよりも、建築・音楽・小売・メディアを横断するカルチャーインフラ企業だったと考える方が正確かもしれない。80〜90年代の東京で、感度の高い若者が何を見て、何を聴き、どこに集まり、何を着るのか。その導線のかなりの部分に、JUNが関与していた。
企業が文化を「利用する」ことは多いが、JUNの場合はむしろ逆で、文化の側に企業が埋め込まれていた印象がある。本社屋の解体と再開発は都市の必然だが、あの場所が象徴していた時代。
企業が都市のカルチャーエンジンとして機能していた時代は、すでに遠い。
だが、現在の東京の多くのライフスタイルショップやブランド空間のフォーマットは、少なからずあの時代の実験の延長線上にある。JUNという会社の面白さは、いまもなおそこに残響として響いている点にある。
日本漢字能力検定は、毎回、さまざまな場所で試験が行われるのですが今回は東京海洋大学で行われた。
東京海洋大学は、東京都に本部を置く日本唯一の海洋系総合大学です。旧東京商船大学と旧東京水産大学が統合し設立され、海技士教育や海洋資源、水産分野の高度な研究を行っています。偏差値は54~62程度で、就職は海運・物流・食品関連に強みがあります。
また、鯨類(クジラ・イルカ)の研究が活発に行われており、特に品川キャンパスにある「マリンサイエンス・ミュージアム」には貴重な鯨の骨格標本が展示されています。






