厳選主義 〜2020大掃除と思索〜
「情熱という名の資料は、魂の延長線上にある」
物が多いのは、仕事柄なのか、それともただのオタク気質ゆえなのか。50歳を目前にした今、もはやその境界線は自分でも曖昧だ。
だがひとつ確かなことがある。
自分が情熱を注いできたジャンルの、歴史に残る名作たちは、それがたとえ本やレコード、機材やガジェットであっても、「物欲」ではなく、「資料」として手元に置いておきたい。
それはコレクター魂なのか? いや、むしろプロ魂と呼ぶべき衝動ではないか……..?
1. 情報が“借りられる”時代に、“持つ”意味
現代はレンタル、サブスクリプション、シェアリングが主流の時代だ。YouTubeでは、あらゆる分野の専門家が知識を惜しげもなく語り、AIが情報を瞬時に検索・生成してくれる。
しかし、そうした便利な時代においても、壁一面の本に囲まれた評論家の部屋や、名機だらけの大御所ミュージシャンのスタジオを見ると、「持つこと」の意味を改めて考えさせられる。そこには、単なるモノではなく、その人の時間と思考と情熱が詰まっている。
もちろん、ホワイトボードとマジック一本で核心を突く知性も素晴らしい。だがそれは「持たない」ことの美学であって、「持つこと」を否定するものではない。
2. 「持っているから凄い」ではなく、「できるかどうか」
結局のところ、大切なのは量ではなく質、所持ではなく実行力だ。「持っているから凄い」のではない。「必要なときに必要なことができるか」、それがすべてだと思う。
あるいは、アイデアが生まれるのか。その資料や道具が、ただの“在庫”ではなく、着火剤となるのか。
問いはそこにある。
3. 主観というフィルター
私たちは、学び、経験し、感じたことを通じて世界を見ている。すなわち、「主観」というフィルターを通して判断し、行動している。
この主観があるからこそ、自分が情熱を注いだ分野に関して、膨大な資料を揃えている経営者や、プロの職人、デザイナー、スポーツ選手たちの姿に共感できるのだ。
そして、彼らが保有しているのは、単なる“モノ”ではなく、熱量のアーカイブ、魂の堆積物なのだと思う。
4. 情熱が“無駄”を意味しなくなるとき
十年ぶりに再会した、かつてのヤンチャな仲間。彼は今、自ら立ち上げた工場で、理想の車のカスタムを続けている。膨大な設計図、工具、部品。
それらを見たとき、彼の情熱が言葉なく語りかけてくる。
そして思う。
これもまた、「持っているから凄い」のではない。「今もやっている」という事実が、何より雄弁なのだと。
5. 豊かさとは何か?
効率的に生きること。無駄を省くこと。
それらはこの資本主義社会において、美徳として語られる。だが、情熱を注げる何かを持っているということ。
それは、違う意味での「豊かさ」ではないか?
採算度外視とまでは言わない。でも「やりたいことを、続けられる」ことこそ、本当の幸せなのかもしれない。
そうした感覚は、きっと「お利口さん」な資本主義のルールにうまく乗れる人たちには、理解されないかもしれない。だが、それでも構わない。
6. そして、2021年へ
まもなく2021年。
世界が大きく揺れた年を越えようとしている。
あなたは、どう思いますか?
何を持ち、何を持たずに、これからの時代を生きますか?
そして、あなたの情熱は、どこにありますか?
