TOKYO 2025 ~ A Day In The Life Of Setagaya-ku – 馬事公苑 (Setagaya JRA Equestrian Park)

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TOKYO 2025 ~ A Day In The Life Of Setagaya-ku – 馬事公苑 (Setagaya JRA Equestrian Park)

馬事公苑と宇都宮の記憶

東京・世田谷にある馬事公苑は、1940年東京オリンピックに向けて日本の馬術選手を育成するために誕生した。戦争で大会は幻となったが、その後1964年、そして2021年(2020年大会延期)と二度の東京五輪で馬術競技会場を担ってきた。平時には競技会や普及イベントを通して、馬と人とをつなぐ場所として親しまれている。

この馬事公苑が東京を離れ、宇都宮に移ってきたのは2017年から2023年のこと。東京オリンピックの改修工事の間、宇都宮事業所は「馬に親しむ日」などを通じて多くの市民に馬とふれあう場を提供した。やがて役目を終え、馬たちは世田谷に戻っていった。

その宇都宮の地は、私にとっても忘れられない青春の舞台である。ある時期、過ごしたあの一帯は、もともとJRA育成牧場であり、まさに私たちの遊び場だった。敷地のすぐ横には、2000坪はあろうかという若月家(鈴木家)のお屋敷がそびえていた。螺旋階段を備えた西洋建築の建物に茶室や書庫、プール、テニスコート、ゴルフ練習場まで整い、まるで一つの世界のようだった。若月は同級生で、私もそこでよく一緒に遊んだ。

夏の午後、プールに差し込む太陽の光は水面で揺らめき、笑い声と水しぶきが空気を震わせていた。秋には屋敷の庭に落ち葉が舞い、螺旋階段の影が長く伸びる夕暮れの中で、何気ない話をしながら帰り道を歩いた。さらに近所には、かき氷「サクレ」で知られるフタバ食品株式会社の創業者の孫にあたる見当くんも住んでいて、彼も同級生。放課後や休日は、そんな仲間たちと夢中で駆け回った。あの頃の景色や匂い、笑い声はいまも鮮やかに蘇る。

半世紀を生きた今、かつての遊び場が「馬事公苑宇都宮」として東京オリンピックを支える拠点となり、最後のイベントで多くの人を集めたことは、不思議な縁の巡り合わせに思える。馬事公苑宇都宮は、私にとってオリンピックの歴史と少年時代の記憶が交差する、かけがえのない場所である。

馬事公苑

馬事公苑 Wikipedia

 

 

 

 

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