必要な“揺らぎ”としての危機 〜ニュートラルな心で迎えた2021年の終わりに〜
2021年の年末、大掃除を終えた部屋で、ふとこの数年を振り返ってみた。
COVID-19という世界的なパンデミックがもたらしたのは、単なる恐怖や混乱だけではなかった。むしろ、個人的には“無理をしない環境”が自然と整い、かえって心地よい流れに身を委ねることができたようにも感じている。
社会は「不要不急」という言葉を合言葉のように口にし、それまで惰性で続いていたような関係性や行動は次第に姿を消していった。
この変化がもたらしたものは何だったのか?
それは、おそらく「素直に生きること」の許可だったのではないかと思う。
仕事の付き合い、人間関係、家族間のやりとり。
私たちはいつの間にか「~しなければならない」という思い込みの網の中で、生きる姿勢や選択肢を狭めていたのかもしれない。
だが、外部環境が強制的に“距離”を生んだことで、本当に必要なつながりと、そうでないものが浮き彫りになった。その結果、自然体で過ごす時間が増え、自分の「向き・不向き」や「心が喜ぶ方向」が明確になっていったのだ。
一緒に歩んでいる仲間たちを思い返す。
学生時代から変わらずに関わってくれている友人、20年以上、共に支え合ってきた同志たち。幾度もの困難を共に乗り越え、それでも変わらずそばにいてくれる人たちがいる。これはもう「縁」という言葉以外には表現できない。
逆に、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」というような関係は、この時期を境に自然と淘汰されていった。
危機は時に、フィルターの役割を果たす。
関係を選別し、価値を洗い出し、本当に必要なものを照らし出す光となる。それは、痛みを伴う真実の露呈でもあるが、同時に、生きる軸を研ぎ澄ませる貴重な“揺らぎ”でもある。
人生とは、常に不確かで、予測不能なものだ。
だが、そんななかでも諦めず、地道に続けてきたことが評価されたとき、その喜びは格別だ。ああ、自分は間違っていなかったのだと、小さな自信が胸に灯る。
2022年はさらに混迷を深める一年となるかもしれない。
けれど、それは混乱ではなく、“個の輪郭”がより際立つ時代への移行だと思う。主観が研ぎ澄まされ、人間関係はますますシンプルになるだろう。だからこそ、自分自身の声に耳を澄ませ、素直な心で日々を選び取っていきたい。
良いお年をお迎えください。
そして、これからも「本質」と共に生きていけますように。