TOKYO 2021 ~ A Day In The Life Of Shibuya-Ku – Meiji Shrine
2020年で明治神宮鎮座100周年
新1万円札の顔になることや2021年にNHK大河ドラマの主人公になるなど、日本資本主義の父である渋沢栄一と明治神宮の関係
明治神宮
明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社
境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国からの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などの祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」明治神宮ミュージアム、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館、神道文化の国際的な発信を行う明治神宮国際神道文化研究所などがある
明治神宮 – Wikipedia
73ヘクタール(約22万坪)に及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、井伊家から政府に買い上げられて南豊島御料地となっていた
明治維新を機に、京都から奠都(てんと)されたかつての江戸は、新しい都「東京」と改称され、近代国家の名に恥じない首都へ
明治天皇により首都と定められた東京市においては、数年後に迫っていた即位50年の記念行事の各種計画が進んでおり、天皇崩御直後、これらの施設を、明治天皇、あるいは明治という時代を記念するものとして、東京に構えるという構想が続々と唱えられた
この内、東京に天皇陵を構えるという意見に対しては、明治天皇の遺志により京都(伏見桃山陵)に山陵が造営されることとなり決着したが、今度はそれ以外の記念施設の東京への創設を求める運動が起こり、それらの中には「明治天皇を祀る神社」もあった
天皇崩御の直後、大正元年8月12日には早くも実業家渋沢栄一、東京市長阪谷芳郎とった有力者による有志委員会が組織され、神宮創設の具体案を明記した「覚書」が公表された
創建が内定した当初は明治天皇一柱の予定で、また特に明治維新に功績があった臣下の者を合祀することも検討されていた
また、神社創建前(鎮座地が決定した段階)に崩御した昭憲皇太后も合祀し、合計二柱鎮座となった
1920(大正9)年11月1日の午前からおこなわれた鎮座祭には、原敬首相をはじめとする政財界の主だった面々が数多く参列したそうで、鎮座祭のあとは正午から東京府主催の奉祝会、夜には明治神宮奉賛会会長の徳川家達が主催する晩餐会が開かれた
「日本資本主義の父」とも称される渋沢は、明治神宮を創建する運動を推進した中心人物であり、明治神宮奉賛会の副会長として外苑のための献金募集に尽力した大功労者であったが、この日は体調不良のため自宅に「引籠」っていたそうだ
西参道まで歩いて、我が社の栗原氏が通学で利用していた参宮橋のあたりの乗馬クラブを見ながら目的地へ
Park Hyatt TokyoでMTGの予定があったので、久々に原宿から歩き、我が母校の近くにあるPark Hyatt Tokyoまで歩いて行くことにしたのだが、随分と時の変化を感じたものである