Chiba 2022 ~ A Day In The Life Of Katori City Vol.2 – Katori Shrine Part.1
今は神宮と名のついた神社は多々ありますが、かつて神宮といえば、「日本三大神宮」である伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の三社でした
また、関東最強のパワースポット「東国三社」とは、茨城県にある「鹿島神宮」と「息栖(いきす)神社」、千葉県にある「香取神宮」の三社をまとめた呼び名である
江戸時代には「お伊勢参りのみそぎ参り」と呼ばれ、伊勢神宮参拝後にこの三社を参っていたそうで、この三社参りのご利益がとてもすごいと、当時は相当な人気を誇ったそうです
この三社の位置を結ぶと直角二等辺三角形になり、そのトライアングルエリア内には強力なパワーが存在していると言われています
香取神宮の祭神は、出雲の国譲り神話の中で、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(たけみかづちおおかみ)とともに出雲に赴いた経津主大神(ふつぬしのおおかみ)である
その武威に大国主大神が従うことになったとされ、古代から武神として信仰を集めてきた
古代においては、鎮護国家の神として大和朝廷の東国経営の一翼を担い、中世には下総国の一宮となり、江戸時代には徳川幕府の庇護を得た
日本で「すべての始まりの地」といわれる神宮
それは、創建は紀元前660年と伝わるほど古い日本最古とされる東国三社の一つ「鹿島神宮」です
武道の神である「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」が奉られる由緒ある鹿島神宮は、今もなお観光客の心を捉えて離さない魅力と威厳を秘めています
香取神宮 | 千葉県香取市 全国約400社の香取神社の総本社
伊勢神宮 – Wikipedia
鹿島神宮 – Wikipedia
香取神宮 – Wikipedia
息栖神社 – Wikipedia
案外、よくわからない事を言う人が多いので簡単に説明します
「日本三大神宮」である伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の三社の歴史
鹿島神宮は、神武天皇が即位された皇紀元年(紀元前660年)に創建されたと伝えられており、日本の皇紀と同じ長さの歴史を持つ神宮である
また、香取神宮の創建は初代神武天皇18年と伝えられていますので、筑波山神社と同じく約3000年の歴史はあるかと思われますが、古代においては、東国の守護神として大和朝廷の東国経営の一翼を担い、 中世には下総国の一宮となり、 江戸時代には徳川幕府の庇護を得ました
明治以前には伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮のみが「神宮」と称すことを許されたとても格式高い神社ですが、鹿島神宮、香取神宮は初代天皇の神武天皇が関わる神社である
伊勢神宮は、伊勢神宮内宮の御正宮・「御正殿」でお祀りされている天照大御神(あまてらすおおみのかみ)は、皇室の祖先の神様と言われますので、天皇の先祖がお祀りされている場所ですから鹿島神宮、香取神宮と立ち位置が違う訳です
伊勢神宮の主祭神の天照大御神は、八百万の神々の中心に位置し、太陽にも例えられる神様である
約2000年前、天照大御神の鎮座地を探して各地を巡っていた倭姫命が、天照大御神のお告げにより五十鈴川のほとりに内宮を建てたのが伊勢神宮の起源といわれています
そして、神を統合した日本国の創始者は神武天皇と言われているように、日本国の創始者であり、初代天皇は神武天皇である
その天皇が日本国というものを誕生させる以前に、大地に国をつくった出雲大社のご祭神である大国主大神の物語もある訳です
『古事記』(712)や『日本書紀』(720)の神話伝承には、大国主大神様が国づくりされた日本の国土を、皇室の御祖先神である天照大御神様に〝国譲り〟された際、そのご功績を称えて壮大な御神殿(御本殿)が創建され、大国主大神様がお鎮まりになられたと記されています
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した
また、現在の本殿は、延享元年(1744)の建立で、寛文造営時の規模を踏襲し、3年半の歳月を要して完成しました
出雲大社 – Wikipedia
なかなか日本人なら知っておきたい日本の神様は奥が深いですね
また、京都の時代、明治天皇からの東京ばかり目が行きがちですが、関東には「日本三大神宮」のうち香取神宮、鹿島神宮の二社がある事からかなり古い歴史がある事が分かると思います